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廣海家住宅(大阪府貝塚市)

        廣海家は天保6(1835)年、貝塚寺内の有力町人明瀬家の娘が摂津国鳴尾の酒造家辰馬半右衛門家から養子を迎え、貝塚寺内の地頭願泉寺卜半家から廣海姓を賜り、諸色問屋業(廻船業)を開業したことに始まります。慶応年間(1865年~68年)には4隻の大型和船を所有し、北陸・東北日本海岸・北海道産の米穀や肥料を扱っていました。明治16(1883年)年には海運業から撤退しましたが、戦前まで肥料問屋を営み、一方で貝...

尾食家住宅(大阪府貝塚市)

        尾食家は16世紀半ばから貝塚寺内に居住し江戸時代を通じて代々左近右衛門を名乗り、旅籠屋や両替商を営み、幕末には干鰯屋や木綿仲買なども営んでいました。尾食姓は紀州藩主が参勤交代時に当家で食事したことから呼ばれるようになったものと伝えられます。当家住宅は貝塚寺内の北側の出入口にあたる「上方口」の西側、北境川に接して建っています。敷地は間口10間規模で川沿いにあるため、台形の平面となっていま...

竹本(久)家住宅(大阪府貝塚市)

        北町の竹本家住宅は堀之町筋に南面し、利齋家住宅の東隣に位置します。当家は昭和初期まで貝塚市特産の黄楊櫛製造業を営んでいました。東西の主屋はもともとは別構造の2軒の民家建物です。東主屋は桁行2間半の小規模な町家で、後の改造も多いですが、江戸時代の小規模な町家の様子をしのぶことができます。西主屋は間口3間半の昭和7(1832年)年頃建築の町家です(貝塚市ホームページより)。★当ブログのまとめサイ...

利齋家住宅(大阪府貝塚市)

        利齋家は所蔵する「三宅氏系図」によると松尾寺(和泉市)にて出家していた式部という人物が織田信長の兵乱(天正9(1581)年後に貝塚に来住したという旧家です。代々が孫左衛門を名乗り薬種問屋を営み、ほぼ江戸時代を通じて北之町の町年寄役を務めていました。住宅は堀之町筋と御下筋が交差する角地にあり、主屋は堀之町筋に南面しその背後に中庭を隔てて離れが建ち、西側の御下筋に面して土蔵が建ちます。主屋は...

竹本(章)家住宅(大阪府貝塚市)

        西町の竹本家住宅は紀州街道から西に1本入った筋にある食い違いの交差点の南西に位置し、主屋は北面しています。古家を購入して内部を改装したもので、当初の住人の職業は不明です。間口7間規模で正面に出格子や与力窓などを配し、東側の無双窓からは貝塚御坊願泉寺を望む造りとしていることから、貝塚寺内の地頭願泉寺卜半家の家臣の住居であった可能性があります。★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用...

岡本家住宅(大阪府貝塚市)

        岡本家はもと屋号を唐津屋といい江戸時代は代々市郎兵衛を名乗り昭和初期まで醤油製造業を営み、また北之町の町年寄役も務めていた家です。住宅は御下筋の北端の角地に位置しており主屋は御下筋に西面し、北側に新蔵・中蔵・北蔵および座敷(離れ)が建ち並んでいます。主屋は18世紀中頃まで遡る可能性があり、背後に増築された角屋座敷には天保12(1841年)年の棟札が残されています。土蔵3棟はいずれも醸造用で...

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プロフィール

けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。

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