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大通寺 来島通総・得居通之の墓(愛媛県松山市)

        松山市(旧北条市)難波にある曹洞宗安楽山大通寺は村上水軍のひとつ来島村上家の伊予時代の菩提寺です。貞和年中(1345~50)に大暁禅師開山で創建当初は臨済宗でしたが、明応年間(1492~1501)に中興開山玄室守腋・伊予守護河野通宣開基によって曹洞宗に改宗しています。         ...

三津浜の辻井戸(愛媛県松山市)

        現在は小さな憩いの場となっています三津浜の辻井戸跡。加藤嘉明が慶長8(1603)年に三津浜を御船手(水軍)の根拠地と定めたことにより問屋や漁師町などと併せ繁栄していくことになります。            この辻井戸は寛永12(1635)年に藩主松平定行が御船手の専用水として掘削させたものだそうで四ツ辻にあったので辻井戸の名があります。★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁...

石崎汽船本社(愛媛県松山市)

        松山市三津浜にある石崎汽船の旧本社。石崎汽船はルーツを辿ると松山藩御用の廻船問屋へ行き着く海運の老舗企業で、現在は広島・呉とを結ぶフェリー・高速船や門司にも子会社が航路を持っています。この旧本社ビルは大正13年の竣工で設計は萬翠荘や愛媛県庁舎などを担当した木子七郎氏。鉄筋コンクリート2階建ての陸屋根造の事務所建築です。正面は左右対称形で中央部を薄く張出して柱型の間に橙色、両側に白色タ...

村上大明神(愛媛県松山市)

           伊予の関ヶ原と言われる三津刈屋口の戦い(刈屋畑の戦い)。家康に従い会津へ従軍し不在だった加藤嘉明の居城伊予松前城を西軍の毛利氏は村上元吉(武吉の嫡男)や桂元綱・河野氏の旧臣曽根景房らを派兵、伊予に留まり主家再興を図る河野氏旧臣たちが呼応し攻めますが、自軍の圧倒的優位から来る油断と松前城留守居だった佃十成らの策略にはまり夜襲をかけられ壊乱。攻め手の大将村上元吉や曽根景房ら名のあ...

萬翠荘(愛媛県松山市)

        萬翠荘は旧松山藩主久松(松平)定謨伯爵の別邸として大正11(1922)年に建てられました。松山城の麓の翠の森に佇む邸宅という意味から萬翠荘と名付けられています。フランス駐在歴が長かった定謨の好みの鉄筋コンクリート造地上3階・地下1階のネオルネッサンス様式。建物は左右非対称となっており、正面の車寄せと玄関ホールの柱の頂部分にはコリント式の飾りが施されています。設計は木子七郎、旧愛媛県庁本館な...

子規堂(愛媛県松山市)

         正岡子規の菩提寺である正宗寺境内に子規が17歳まで暮らした家を復元した子規堂はあります。昭和8年に寺の火災で消失、その後昭和20(1945)年の空襲で再度消失しています。現在の建物は昭和21(1946)年に子規の妹律子の遺した記録図と友人柳原極堂氏の記憶に基づき当時の居宅の構造をそのまま再現したもので愛媛県指定史跡の指定を受けています。        子規堂の先にある墓所内に立つ埋髪塔。明治37(...

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プロフィール

けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。

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