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志佐壱岐守純高の墓(長崎県松浦市)

                  松浦党のひとつ志佐家。一時は壱岐に侵攻し壱岐国守護を称するまで勢力を拡大しますが、これは上松浦党の波多氏に攻められ放棄・撤退しています。その後は平戸松浦氏や有馬氏など周辺勢力の影響を受けたり交戦したりと小領主らしい変動期を経て秀吉の九州征伐では松浦鎮信らとともにいち早く降り、当時の当主純意は島津氏征討で功を挙げています。純高は純意の嫡男で志佐家15代当主。文禄の役...

瑞巌寺 波多三河守親の墓(佐賀県唐津市)

         瑞巌寺は文和4(1355)年の創建、上松浦党の頭領的存在であった波多氏の菩提寺と伝わります。波多氏隆盛時には650石の寺領を持ち多くの僧侶を抱える大寺でしたが、文禄の役の際に波多三河守親が秀吉より軍令違反などを理由に改易されて以降衰退。その後再興・廃寺を繰り返し今に至ります。         ...

松浦丹後守家累代の墓(長崎県松浦市)

         宗家松浦(相神浦松浦家)の末裔である旗本今福松浦家の墓所は松浦党初代源久の隠居屋敷跡に建てられた菩提寺宛陵寺の跡地にあります。宛陵寺は応永13(1406)年に源丹後守延が佐賀玉林寺より大圭和尚を招いて開山したと過去帳にありますが、明徳元(1390)年の宛陵寺古文書には源延が宛陵寺の大圭和尚に領地の寄進をしているため、それ以前に開山していたようです。宛陵寺はこの場所が山の中腹にあり地滑りの危険...

文禄の役松浦家供養塔(長崎県松浦市)

         肥前国で50家を超えるほどの一大勢力であった松浦党の宗家である相神浦松浦家(宗家松浦)当主で、文禄の役に出陣し戦死した松浦丹後守定および7名の家臣の名を記した自然石板碑を中心に配置しています。場所は松浦党発祥の地である松浦市今福にあります。一番左が定の五輪塔、その横が享和元(1801)年に相神浦松浦家の系譜を継ぐ旗本今福松浦忠之が建立した供養の長明塔、ひとつ置いて一番右にあるのが六地蔵...

陣内城(長崎県松浦市)

                  陣内城は古くは安倍宗任の屋敷があった場所と伝わり松野尾安房守の居城でしたが、志佐氏により改修が加えられることとなりました。後に志佐氏は内地にある直谷城に本拠地を移すも当時志佐氏は壱岐も領有していたので海に近いこの城を出城として活用し壱岐失領後も重要拠点として、文禄の役で15代当主志佐壱岐守純高はこの城より朝鮮へ出兵しています。現在も土塁の一部が現存しており、跡地に...

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プロフィール

けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。

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